境内のご案内

境内

本殿・幣殿・拝殿
本殿は江戸中期の代表的建築物であり、狛犬一対と棟札二枚(享保年間と寛政年間のもの)は市の有形文化財に指定されています。
銅板平葺き三間社銅板平葺入母屋造。妻飾には胴張り付き虹梁が組まれ、線彫り絵様の彫刻があります。頭貫の木鼻は獅子、牡丹、葉が彫り込まれています。
平成二十二年(2010)春から平成二十四年(2012)秋にかけて修理事業が行われました。
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摂社
●子安神社(こやすじんじゃ)
御祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)
当社御祭神である大国主命の父母にあたる神々であり古来より子宝・安産・子育ての神として信仰されます。
昔から安産の祈願・御礼参りとして底を抜いた柄杓を奉納する風習があり、水がつかえず軽く抜ける如くに楽なお産が出来ますようにとの願いが託されています。
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末社 西側(御本殿向かって左)人の社会を守護する神々
●八雲神社(やくもじんじゃ)
御祭神:建須佐之男命(たけすさのおのみこと)
大国主命の父神で、様々な災いを祓う、開拓・農耕の神様です。
●神明社(しんめいしゃ)
御祭神:天照大神(あまてらすおおかみ)
皇室の御祖先神として尊ばれ、日本国民の総氏神として仰がれています。
●八幡神社(はちまんじんじゃ)
御祭神:応神天皇(誉田別之命)(おうじんてんのうーほんだわけのみこと)
仲哀天皇の第四皇子で母神は神功皇后です。
源氏の氏神であり、国家鎮護・武門の神様です。
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末社 東側 (御本殿向かって右)人の生活を守護する神々
●産霊神社(むすびじんじゃ)
御祭神:高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)
無から有を生む神様です。
●胡夫太夫神社(こふたゆうじんじゃ)
御祭神:事代主神(恵比寿神)(ことしろぬしのかみーえびすのかみ)
福を招く神様です。
●呉服之神社(ごふくのじんじゃ)
御祭神:長白羽命(ながしらはのみこと)
衣服の神様です。
●稲荷神社(いなりじんじゃ)
御祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、太宮姫神(おおみやひめのかみ)、太田神(おおたのかみ)
食べ物・人心和楽・土地の神様です。
磯前神社(いそさきじんじゃ)
御祭神:少彦名神(すくなひこなのかみ)
病を治す神様です。
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神馬舎
元来、三保半島全体が松原に覆われており、江戸時代を通じて多い時で十数頭の野生馬が、当社神馬として生息していました。
この神馬は、三代将軍徳川家光が静岡浅間神社に寄進した二頭の内一頭で、安永二年(1773)の駿府大火のおり逃げてきたと伝えられています。ちゃっきり節にも唄われ、当初、名匠左甚五郎の作だったと伝わります。
子供の守り神、また何でも叶う叶え馬として信仰され、絵馬に願い事を書き奉納、祈願する人が多くいます。特に子育てに験があるとされ、腹の下をくぐりお供えの御豆を食べると「かんしずめ」「はぎしり」「寝小便とめ」などが治るといわれています。
11月1日、2月15日の祭典にて、終日神馬舎を開放の上、神馬の腹くぐり行事を行います。
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手水舎
手水の作法
①まず右手で柄杓を取ります。
②水を汲み上げ、左手にかけて洗います。
③柄杓を左手に持ちかえ、水を汲み上げ右手を洗います。
④再び柄杓を右手に持ちかえて、左の手のひらに水を受けて溜め、口をすすぎます。
⑤一度口をつけた左手を再び洗い清めます。
⑥静かに元の位置に柄杓を戻します。
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舞殿
鎌倉時代には、武士たちの鎮魂の場として栄え、舞殿では鎮魂のための舞楽が盛んに行われていました。
大棟の部分には徳川家の紋「葵の御紋」が入っていますが、かつての徳川将軍家の崇敬の篤さが伝わります。江戸時代には、朱塗りの壮大な社殿とともに美観を極め、幕府庇護の下、舞楽・狂言・能などが盛んに奉納されるなど、歌舞音曲に御神徳があるとして篤く崇敬されました。
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鳥居
北側
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南側
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灯籠
境内にある灯籠は、江戸時代、明治時代に奉納されたものです。
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田中孫七翁表功碑
三保海苔開拓者である田中孫七の業績を称え、当時の三保村有志により、大正三年(1914)に建立されました。
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相撲場
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慰霊碑
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華表公園設置記念之碑
地元出身の在米移民者たちの寄付によって新しい石材の鳥居が完成したこと、また上知された土地の買い戻し及び公園造成の顕彰を目的とし、明治四十三年(1910)に建立されました。
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清水南高校建学の地
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境外

参道(神の道)
神社参道で樹齢300年ほどの松並木が約500メートル続きます。海の彼方より常世の神々が当社へと往来することから「神の道」と称され、現在も、2月14日の祭典においてこの道を通り、神迎えの神事を行います。
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御神木(羽衣の松)
天女が羽衣脱ぎ掛けたとされる御神木「羽衣の松」。現在は三代目。
元来、常世の神々の依代であり、「羽衣の松」「神の道」「御穂神社」と一直線上に立地します。
羽車神社(離宮)
風土記所載の石造りの神社で、羽車磯田社ともいいます。昭和三十一年(1956)八月に再建しました。
「大己貴命天上に登り順う可き条々を奏し、天乃日鷲大羽鷲羽車に乗り三保の御崎に休み給う(日本惣国風土記)」「大己貴命天の羽車大鷲に乗り妻妾を覓む(先代旧事本紀)」とあるように、当社御祭神が天の羽車の大鷲に乗って降臨されたと伝わります。
昭和三十一年(1956)に木造りの社殿から石造りの社殿にしたのをきっかけに再建の碑が建立されました。
三保松原
一の鳥居と常夜灯
慶応三年(1650)の古地図には鳥居の姿が確認できます。元禄十六年(1703)の『駿河巡見帳(駿河目付三島清左衛門)』には「磯ぎわの松原入口に、三保明神への道しるべの杭木が左右にたつ」とあり、時代によって変遷があったといえます。
第十五代将軍徳川慶喜の撮影した写真に写っている鳥居は、慶応元年(1865)に三保村の有志始め崇敬者たちによって建立されたものです。
平成七年(1995)九月の台風被害によって鳥居の上部を切り離していましたが、平成十七年(2005)地元有志によって再建されました。(高さ約五メートル、幅約6メートル)
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宝物

糸巻の太刀(重要文化財)
鎬造、庵棟、鍛板目、刃文直刃、長さ95.2センチメートル、反り4.2センチメートル、目貫樫の木の枝を面白く彫刻 源義経の巨鈴木三郎重家奉納・伝三条小鍛冶宗近作
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ご神額及び神代文字
寛文八年(1668)当社火災後復興し、その時八千彦命が降臨して顕した書体及び文字と伝えられます。
文字そのものに神霊が宿っているとされ、当社への篤い信仰の対象となっています。
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羽衣の裂と羽衣の笛
羽衣伝説に付随する羽衣の一片は、天女が羽衣を纏い飛び立つ際に漁師伯梁の差し出した手に留められし物と伝えられます。約1300年よりも前に遡る逸品です。
「羽衣の笛」は羽衣の舞に吹奏されるもので、約800年前に遡る、雅趣に富み逸品です。
日本古伝統舞楽の東遊駿河舞は、二十七代安閑天皇より宮中にて行われますが、その発祥は当神社由緒(二神降臨)の物語り訛によるものと伝わります。
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三保塚間遺跡出土品(石棺)
古代において当地方を治めた豪族、庵原君三代目のものとされます。

その他

フランス海岸松
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針葉が長く、マツボックリが大きいのが特徴です。
三保の地域はフランスとの縁が深く、昭和五十九年(1984)より開催される「羽衣まつり」では、能「羽衣」の公演に力を注いだフランスの舞姫・エレーヌ夫人の顕彰式を行っています。